靖国神社参拝をやめ 千鳥ケ淵戦没者墓苑を国立墓地にしよう


靖国神社とは

靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、
戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、
政教分離や、太平洋戦争での日本について侵略だったか自衛だったかといった歴史認識、
日本の支配及び日本軍が送られた近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。
終戦の日である8月15日の参拝は太平洋戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。

日本国憲法

1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法では第20条において下記のように信教の自由を保障し、
政教分離原則を掲げている。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

天皇陛下はA級戦犯の合祀に不快感をあらわし親拝を行っていない

昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)
靖国神社に親拝したが、
1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない。
この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからという仮説があったが
具体的な物証は見つかっていなかったが、宮内庁長官であった富田朝彦による「富田メモ」及び侍従の卜部亮吾による
「卜部亮吾侍従日記」に、これに符合する記述が発見されたとする意見がある。

平成の現在も今上天皇による親拝中止は続いている。
なお、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われている。

1988年(昭和63年)当時の宮内庁長官であった富田朝彦が昭和天皇の発言・会話を手帳にメモしていた。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことが明確に記されている。
そのメモの記述の該当部分を以下に示す。

私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ


社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は、富田メモを調査の上、「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、
不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。ここに言われる他の資料として有名なものとして卜部亮吾侍従日記あどがある。

第二次世界大戦の日本人死者

第二次世界大戦により、海外で死亡した日本人(海外戦没者)の数は、
約240万人(軍人軍属・約210万人、一般邦人・約30万人)に及ぶとされる。

千鳥ヶ淵国立墓地の構想

政府は、終戦後早くから、
各国にある「無名戦士の墓」のような慰霊施設の建設を企図していた。
独立後、その動きは、日本遺族会・日本宗教連盟・海外戦没者慰霊委員会・
全日本無名戦没者合葬墓建設会等の諸団体の活動や身元不詳遺骨の増加もあって活発になる。

公的な慰霊施設建設については、
日本国憲法が定める政教分離原則との牴触も懸念されたが、
内閣法制局・厚生省・文部省等による検討の結果、支障なしとの結論に至る。

諸団体の意見を聴取し、関係機関や有識者による検討を経た後、
1953年(昭和28年)12月11日、「戦没者遺骨の内、氏名判明せざるもの並びに遺族不明のためお渡しできぬものを、
国が建設する「無名戦没者の墓」(仮称)に収納し、
国の責任において維持管理する」との方針を閣議決定する。
その背景には、
1953年に来日したアメリカ合衆国副大統領のリチャード・ニクソンが、
靖国神社参拝を断ったという経緯もある。


この閣議決定の後も、
施設の名称・性格・敷地等について各方面から様々な意見が交わされた。
1956年(昭和31年)11月には千鳥ケ淵の宮内庁管理地(旧賀陽宮邸跡)に敷地が定められ、
1958年(昭和33年)7月に着工、1959年(昭和34年)3月28日に竣工した。
この日、厚生省主催の竣工および追悼式が執り行われ、
昭和天皇と香淳皇后が臨席し、内閣総理大臣等が参列した。

なお、墓苑を管轄する千代田区は千鳥ケ淵を
「墓地、埋葬等に関する法律」上の“墓”として認めておらず(墓地であれば個別埋葬を要する)、
法的性格は“倉庫”“保管庫”に過ぎない事が2001年(平成13年)に発覚した。

外国要人の献花

2013年10月3日、
米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が日米安全保障協議委員会のため来日のおり献花した。
米国の閣僚が訪れるのは初めてとされる。


2006年(平成18年)7月、自由民主党政調会長中川秀直は、
千鳥ケ淵戦没者墓苑の周辺にある国有地も取り込み、
墓苑を公園のように拡充・整備する計画があることを示した。

靖国神社問題が過熱した以降、
極東国際軍事裁判にてA級戦犯として処された者を合祀している靖国神社に代わる
新たな宗教的に中立な追悼施設の必要性を訴える声が増えた為、
この拡充計画は千鳥ケ淵戦没者墓苑をアーリントン国立墓地のような宗教的に
中立に見える追悼施設に生まれ変わらせる事が目的である。

以上ウィキペディアより



靖国神社参拝をやめ千鳥ヶ淵国立墓地への参拝を


靖国神社はもともと天皇家への忠義の象徴である神社なのに、
いまや日本国民の象徴である、昭和天皇や今上天皇による親拝中止は続いている。
なぜ自民党の歴代首相や大臣は参拝を強行するのだろう。
天皇への敬慕の念がないのはわかるが、大変失礼である。
思い上がりもいい加減にしろと言いたくなる。


外国人にとって靖国神社は安重根記念館と同じである

安重根は、伊藤博文を暗殺した独立運動家であるが殺人者である。
A級戦犯は、数多くの日本人そして外国人を殺した戦犯である。

第二次世界大戦の戦争責任者はA級戦犯である。
この事は、すでに東京裁判で判決が確定している。
自民党の歴代首相や大臣は参拝は、東京裁判を再審請求し、
天皇陛下を戦犯としたいのであろうか。
だとしたら、多くの日本人は、天皇陛下を御守するだけである。

靖国神社への参拝を即刻中止しろ!


宗教の自由や、多くの国民を犠牲にした戦犯を、戦争の犠牲者と同列に祀ることへの疑念があり、
中立な追悼施設の必要性を訴える声が増えているのは事実である。

天皇陛下もお参りしていただく墓地としなければならない。
そのためのは、千鳥ヶ淵国立墓地へはA級戦犯を祀らないこと。


千鳥ケ淵戦没者墓苑をアーリントン国立墓地のような宗教的に中立な追悼施設に生まれ変わらせる事は
日本の国際社会での責務である。
千鳥ケ淵戦没者墓苑がアーリントン国立墓地のようになれば、
天皇陛下も喜んで参拝してくれるに違いないと思う。

外国の要人も喜んで参拝してくれるに違いないと思う。

そうなれば国民も嬉しい。
国民のみんなが参拝に行ける国立墓地を国民は望んでいる。



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